星川あさこ個展 わたしはこのせかいをとても愛していますが、同時に無意識下にて、せかいにむけて、つよい怒りをもっているんじゃないかと思うことがあります。

会期|
2023.9.10(日) - 9.18(月・敬老の日)(水曜日は休廊)
時間|
15:00 - 20:00
場所|
パープルームギャラリー
企画|
梅津庸一
協力|
パープルーム予備校

本展について



この度、弊廊では2度目となる星川あさこの個展を開催する。
本展では星川による初の油彩を中心とした絵画作品約35点を紹介する。

「表現主義」とは感情や内なる衝動を作品に反映させる表現の傾向を指す言葉だ。鑑賞者は絵画作品の自由奔放なタッチやジェスチャーに作者の苦悩や身体性を読み取るだろう。つまり作者の「生」を作品を通して追体験するのだ。

星川の絵画作品も例に漏れず「表現主義」にとりあえずは分類できるだろう。本展に出展される油彩画は飲酒しながら描いているらしい。酩酊は自己抑制や判断力が低下する代わりに普段は心の奥にあるさまざまな感情や記憶を呼び起こす。
星川はお酒を動力源に即興的に作品を描き上げていく。飲酒によってブーストがかかった星川は思わぬ身体のパフォーマンスと閃きを得る。そして無意識と覚醒のあわいで生まれる「混沌」や「自然」はストローク、スクラッチ、絵の具の滴り、瘡蓋のような絵の具の礫、絵の具の粘度などによって組織され、それらは「抽象」「自画像」「猿」「花」「キャラクター」などに結実する。
けれども星川作品の新規性、特異性を即座に絵画史と照らし合わせながら見出そうとするのはナンセンスかもしれない。星川の油彩画は美術の諸制度、歴史の上にマッピングすることでしか価値が見出せないのだろうか?もしくはたんに星川の孤独な営為の残りかすなのだろうか?

星川の決断と逡巡、絵の具への感応が凝縮された作品たちはそれぞれにひとつの方法論や作風、様式に根を下ろさず、当て所なく彷徨いそれがそのまま凝固し、わたしたちの目の前に存在しているのだ。それらは「主義」にかかわらず「表現」とはどこに発生するものなのかを問いかける。


                                              
梅津庸一





小さいながらもわたしもせかいのいちぶであり、その上でわたしは、わたしの感じたわたし以外のものを描きだしています。
わたしはこのせかいをとても愛していますが、同時に無意識下にて、せかいにむけてつよい怒りをもっているんじゃないかと思うことがあります。絵を描いているときは、それをよく思います。
たとえば、「発生」という作品ではなにかが生まれるようすを描いたものなのですが、筆もいろも荒々しく、まるで噴火した火山のようです。怒りのかんじょうをかんじます。また、「猿」という作品では、かわいい犬を描こうと思って描いたのに、できあがってみたらせかいを睨みつけているような猿の絵になったのです。

わたし自身は救いを描きたいと思っていて、死のむこうがわ、こちらがわ、にある救いを描きたいです。「祈り」という作品では救いについて描いたつもりです。ですがこの絵も荒々しく、不穏さがあります。
これから絵を描いていくなかで、怒りと救いという相反するようなテーマをむすびつけるようなことがしたいです。

わたしはお酒をのみながら絵を描くことが多く、この展覧会では、すこしお酒をのんだとき、泥酔するまでのんでいたとき、お酒を禁止されてのめなくなったとき、いろいろな酒の濃度で描いた絵画たちを展示しています。

酔っぱらって絵を描くと、いきおいがつき、いろのつかいかたもいきおいでぐしゃぐしゃになり、まるでお酒といろが、反乱をおこしているようにかんじます。描いたときのこともあまりおぼえていないし、酔っぱらって気づいたら作品ができあがっているかんじです。ほとんど何も考えずに無意識に描きます。
お酒をのまずに絵を描くと、こんどは客観的になって、いろを置いてくるようなかんじで、すこしおとなしくなります。とつぜんまるで怒りにも似たような感情で、いきおいづいて描くこともあります。

今は健康上お酒をのんで絵を描きませんが、それでも妙にいきおいがあったりします。

わたし自身は平和主義ですが、その裏がわにたくさんの怒りをもっているとしたら、じぶんというそんざいがおそろしいと思いました。ですが、これからも怒りだったり救いだったり死だったりするようなじぶんの表現をつづけていきたいです。

 
                                                                                星川あさこ




作家のプロフィール

星川あさこ