安藤裕美個展 学舎での10年をめぐって 「ナビ派」と「パープルーム」への眼差し

会期|
2023.11.10(金)〜11.20(月)
時間|
15:00〜20:00
場所|
パープルームギャラリー
企画|
梅津庸一
協力|

本展について



本展は安藤裕美の油彩画23点をメインに紹介する展覧会である。
しかし、いわゆる通常の絵画展とは少し様相が異なる。安藤はアート・コレクティブ「パープルーム」の日々の出来事(その大半が取るに足らない些細なもの)を主題に絵画、ドローイング、マンガ、アニメーションに記録していく作家だ。ほかにもパープルームでは記録動画や画像や書類などのアーカイブ整理も担当している。そのなかでも絵で記録するという行為はいささか奇妙だと言える。なぜならある1つの出来事を描くのにはかなりの手間と労力を要するし、描いている時間こそが安藤の活動の大半を占めているからだ。
さらに安藤はパープルームで培った絵画の方法論を駆使して描いていく。つまり描かれた場面やイメージだけでなく「いかに描かれているか」にすらもその時々の絵画制作の思考や行為が織り込まれ記録されるのである。安藤にとって物事を記録することと表現することは分かちがたく結びついている。 安藤はパープルーム予備校の1期生として入学し現在はパープルームの主要メンバーとして活動して いる。このように書くと梅津庸一が主宰であるパープルームという組織に従属する構成員にすぎないと思われるかもしれない。しかし実際はそうとも言い切れない。前述したようにパープルーム自体を形づくり、過ぎ去っていく様々な出来事を作品として残していく安藤こそが「パープルーム」なのだと言っても過言ではないからだ。
また安藤はナビ派、とりわけボナールに傾倒しているがここにもたんにリスペクトする作家へのオマージュや模倣に収まらない二重性が確認できる。ナビ派はポール・ゴーギャンから指導を受けたポール・セリュジエが発足のきっかけになっている。それゆえナビ派の作家たちは当時の近代化するヨーロッパの秩序への懐疑とオリエンタリズムを引き継いでいると言える。また彼らはメンバーであるポール・ランソンのアトリエを「神殿」と称し、そこに集い親睦を深めた。彼らは絵画をはじめとする諸芸術の探求だけではなく、超自然的な世界観を反映した「儀式」を行い宗教や「目には見えない世界」を志向する結社だった。けれどもナビ派には明確な理念や規範が存在しなかったためか作品の様式にはばらつきがありメンバーの実力差も大きかった。語弊を恐れずに言えばナビ派は一種のユースカルチャー的なノリによって集まったサークルなのである。安藤はナビ派を研究し分析するうちに彼らの未成熟であったがゆえの魅力を理解し相対化していったはずだ。当初は目標であったはずの「ナビ派」は10年足らずで自然消滅したが安藤が活動拠点としている「パープルーム」もまた結成してから10年が経とうとしている。ナビ派とパープルームはテイストこそ違えど共通する部分もある。パープルームが主軸としていたパープルーム予備校は現行の美術制度への批判でもあったが、それと同時に日常系のささやかな出来事や学園ドラマも生み出してきた。
何かに憧れ探求するうちにその対象が自分の一部として内面化されていく。けれども時間の経過とともに変容していく自分自身の肉体や感受性は対象との距離ばかりか関係性自体をまったく別のものに変えてしまう。それは「成長」であると同時に「老い」でもある。その上でひとりの美術家が一貫性を保ちながら自分の仕事を続けていくのには大きな困難が伴う。自己模倣に陥るか、あるいは展開することで軸を失ってしまうか、そのようなケースも散見される。だが安藤はナビ派とパープルームという2つの共同体と親密に関わりながらこの寒々しい美術界を横目に自身の制作に邁進し日々鍛錬を積み重ねてきた。本展に並ぶ油彩画にはその営みがドキュメントとして深く刻み込まれている。この展覧会はもうじき消滅するパープルームで行われる最初で最後の安藤裕美の個展である。この展示はおそらく安藤にとって有限かつ特別な時間になるはずだ。展覧会の様子は会期中記録され続けまたあらたな作品を生み出すことだろう。作品をつくるのが作家でそれを見るのが観客である、という固定化された関係に安藤は演劇的なギミックを使わずに揺さぶりをかけてきた。


ここで多くは語らないが展覧会タイトル『学舎での10年 「ナビ派」と「パープルーム」への眼差し』が全てを物語っていると思うのは僕だけだろうか。是非ご覧いただきたい。



梅津庸一










パープルームの10年を描いて

都心から電車で1時間ほど、神奈川県にあるベッドタウン。JR相模原駅から徒歩20分ぐらいの住宅街にパープルームはポツンと佇んでいる。時代においていかれたようなボロボロの2階建ての建物はいつもぎしぎし軋んでいる。2階がパープルームの拠点で1階のテナントのうち一つがパープルームギャラリーだ。その隣にはラーメンショップと焼きとり屋が入っていて、あたりにはいつもラーメンの匂いが漂っている。
この個展の出品作品は全てパープルームで生活しながら制作したものだ。
午前9時ごろ、私は通りを走る大型トラックの振動やラーメン屋から聞こえるテレビの音に起こされる。10時くらいになるといつも隣のみどり寿司の大将がラーメン屋の店員に「おはよー!」と言っているのが聞こえてくる。私は簡易式の折りたたみベッドの上で寝袋から這い出て、とりあえず朝ごはんを食べる。朝は作るのがめんどくさいのでレトルトカレーか弁当を食べる。その後、とりあえず部屋にある20点ほどの自作の絵画をひととおりぼーっと眺める。すりガラスの窓から差し込む朝日が壁にかかった私の油彩画の凹凸をなぞっている。絵の具の乾き具合を見て思いついたものから加筆し始める。今回の個展の制作期間は夏だった。空調設備のないパープルームは日中ものすごく暑くなるため、午前中か深夜しかまともに制作できない。
私は絵を描き始めると蜘蛛の巣にとらえらえたハエのように絵から離れられなくなり、距離をとって冷静に観察しなくなってしまうので、YouTubeでニュースの動画を流して適度に気を逸らしながら描いている。昼1時ごろ暑さに耐えられなくなってくると近所のファミレスに涼みに行って、動画編集やパーギャラの冊子制作などのパソコン作業をする。夕方5時くらい、涼しくなってきたらパープルームに戻って制作を再開する。夜11時以降は車の振動もなく、ラーメン屋の音も、人の声もしない一番集中できる時間だ。
一つの絵にかける時間は平均1〜2時間ほどだけれど、いつの間にか5〜6時間すぎていることもある。私は絵の具が乾かないうちにぐいぐい描き進めるタイプではないので、その日に描ける範囲が限られている。描けるところがなくなったら乾かすために壁にかけて、別の絵を加筆する。ここ数ヶ月はそれを繰り返してきた。夏の間は分厚い絵の具は2日、薄い絵の具は1日でおおよそ乾いた。

私はこの場所でパープルームのメンバーとして10年間活動を続けてきた。私が初めてここにきたのは2014年、19歳の夏だった。
2010年代はコレクティブの時代と言われていて、たくさんのアート系のグループが存在した。そのなかでパープルームは『スクールカーストの3軍系』と自称していた。
他のコレクティブが次々と活動をやめていくなか私たちが続けてくることができたのは、ずるずるとしていながらも真面目なつながりだからかもしれない。グループとしての方針はなんとなく存在してるけれど、みんなが理解しているかは怪しい。頻繁に寄り集まっているけれど、そんなに仲が良いわけでもない。しかし各々、人生のほとんどの時間を美術の活動のために割いている。掛け金は高い、そこは共通している。そうじゃない人はあまり定着しない。
パープルームにはこれまで10代から20代までの美術を志す若者たちが全国各地から相模原に移住してきて共に活動し、言葉で言い表せない関係性や変な物語がたくさん生まれてきた。ここには私の青春が詰まっている。印象的なエピソードを思い出してみると、どんどん溢れてくる。
色々な作家がパープルームのアトリエで真夏に汗だくになりながらも真剣に制作していた時の空気感、名古屋の山下ビルで初めて展示した時に最初の4日間を24時間オープンにしたらお客さんがひっきりなしに来てオールしたこと、いわきでの展示で会場に泊まっていた時、深夜にみんなで3kmほど先のレンタルDVDショップまで歩いていき適当に借りた映画を展示用のモニターで見たこと、パープルームやメンバーの家で展示したこと、見晴らし小屋(アランの部屋)の屋上で角材にペンキを塗っていたら何故か警察が8人くらいきて遅刻した私以外全員警察署に連れて行かれて事情聴取されたこと、学園ドラマのような熱いやり取り、エビスアートラボで『パープルーム予備校生のゲル』を開催した時、展示会場の床に寝袋を敷いて寝泊まりしていたこと、寝袋の下に敷くダンボールがガチで取り合いになったこと、昼ごはんにデイリーヤマザキのコロッケが3個入ったパックを買うのが精一杯だったこと、智輝の部屋でゲルゲル祭をしたこと、芋煮会をしたこと、ダンボールのパープルームギャラリー、パープルームの展示のための角材や資材を電車の鈍行で運んだこと、パープルームで鍋をしたこと、言えないようなこと、パープルームの壁の中にネズミがいたこと、パープルームにゴキブリが大量発生してみんなで退治したこと、米軍基地で何かが爆発したこと、みどり寿司との交流、常にどこかおかしい会話、失踪、ビジュアル系ライブに行ったこと、梅津さんがご飯をつくってくれてみんなで食べたこと、鳥取での展示初日に参加作家がアランの実家に集まった時のおばあちゃんとアランのやりとり、わきもとが5年前に買ったジムのガンプラがまだ完成してないこと…などあげたらキリがない。

今回の個展の副題が『ナビ派とパープルームへの眼差し』なのは、私が12年前から傾倒してきたナビ派とパープルームを重ね合わせて見ているからだ。ナビ派は19世紀末、フランスで活動した前衛芸術グループで、その中心メンバーは画塾アカデミージュリアンに通っていた。この塾は当初、フランスの国立美術学校エコール・デ・ボザールの予備校として設立されたものだったが、だんだんと反アカデミズムの独自の教育を施すようになった。ナビ派はゴーギャンの影響を受けつつもそこから新しい何かを生み出そうとした。ただ、メンバーに裕福な家庭のエリートが多く活動形態もゆったりしていた。そこまで活発ではない作家でもちょっと作風がそれっぽければナビ派を名乗れた節がある。パープルームの場合はみんな作風は違うけれど作家活動にかける熱量やメンバー同士のやりとりは、ナビ派よりもレベルが高いように思う。

私はナビ派のボナールとヴュイヤールに影響を受けている。
ボナールはパートナーのマルトや親戚の子供、犬、友人、慣れ親しんだ街など身近なモチーフを生涯描き続け、親密派と呼ばれた。一見内向的なように見えるが、同時代の動向にも目配せしていた。印象派、フォーヴィスム、キュビスムなどの要素がナビ派に属していたボナールの絵の中にもあらわれている。さらに当時出てきたばかりだったフィルムカメラのフィルムのネガポジ反転の要素も取り入れたりしている。こうしたものに反応しつつも流されすぎない姿勢によって晩年まで自己模倣に陥らずに自分の仕事を追求できたのだろう。
ボナールの時代は今よりも派閥が見えやすく、作家たちは同時代のものや先行世代に対抗して自分のやるべき仕事を考えていたと思う。
しかし2023年現在、一口に現代美術といってもジャンルが多様化しすぎていて、大きな動向がとくにないため一体何がカウンターになって、それがどう機能するのかがわかりづらい。私は美術史に残ってボナールみたいに後の世代に自分の絵を届けたい!と思ってやってきたけれど、今この世界で美術史に残るというのは、つまりどういうことなのだろう。

私の絵はパープルームで実際に起きた出来事のドキュメントだけれど、具体的なモチーフだけでなくパープルームで交わされてきた造形言語の記録でもある。その中でも私にとって重要なのが、坂本夏子さんと梅津さんの共作である。2013年から坂本さんと梅津さんは2人同時に同じ画面に加筆していく珍しい手法で油彩画を描いていた。これは本当に難しく、どちらかの造形リテラシーのレベルが低いと成り立たないし、2人のシンクロ率も重要だ。2人同時に加筆していると一方が描いている間に別の部分が進行してしまうので、計算が合わなくなったりする。その都度喧嘩したり話し合ったりしながら制作を進めていく。でもそれも熟練してくると、相手が次にどこに何色を塗るかが予想できるほどシンクロしてくると梅津は言う。
作品をつくる時、作家ごとに独自のレシピみたいなものがあると思う。でもそれが他人の脳内で共有されることは稀だ。彼らはそれを共有しあうことで、新しい絵画について、鑑賞者と共に造形言語でディスカッションしようとしたのではないだろうか。
私はその2人で描かれた一つの絵が訴えかけてくる絵画言語を受け取ってきた。
それに私の作品には制作途中に梅津さんの助言が何回も入っている。梅津さんは絵を描く時に色々な絵を思い浮かべていて、自分の感覚よりもこれまでのリサーチにより蓄積してきた脳内の絵画図鑑を信用してそこからいかにずらせるかなどを考えているらしい。
パープルームには梅津さんが集めた作品集や資料が本棚から溢れてそこかしこに置いてある。物体としてそこにない情報も空間に浮遊しているようにも感じる。

パープルームではこれまで様々な物語が生まれてきたが、これぞという代表的な作品をわたしはまだ生み出していない。梅津さんは個人の活動でどんどん新しい展開をしているので見ていると焦る。私は今後「パープルーム派」と名乗れるくらいの活動をしたい。
ナビ派は9年とちょっとで終わったけれど、私たちはこれからも活動を続ける。大きな動向や流れがなくてもパープルーム自体が歴史になる。私はこれからも物語を紡いでいこうと思う。

パープルームはまもなく移転する。
2年前、突然大家が訪ねてきて「ここを取り壊すので引っ越してくれ」と告げられた。確かにこの建物は老朽化が激しく、階段が錆びて崩壊寸前だったり、大型トラックの振動でものすごく建物が揺れる。しかしその宣告に私はものすごくショックを受けた。「パープルームってずっとここにあるわけじゃないんだ…」
当たり前のことだが、慣れ親しんだものはいつしかあることが当たり前になってしまうけれど、失う時になるといつも惜しくなる。

私はパープルーム自体が一枚の絵画だと思う時がある。色々な人たちの思いや物語が錯綜してきた共同体にはその痕跡がたくさん残されている。


安藤裕美





作家のプロフィール

安藤裕美
1994年 東京生まれ
2014年にパープルームに加入
東京芸大中退
『美術手帖』にて漫画「前衛の灯火」連載中