永島健司個展 蜃気楼

会期|
2022.4.9 - 4.17
時間|
15:00-20:00
場所|
パープルームギャラリー
企画|
梅津庸一
協力|
シエニーチュアン、アラン

本展について


パープルームの活動が始まって8年が経った。パープルームはパープルーム予備校を活動拠点に美術教育や美術史など美術・アートのインフラや慣習を形作ってきた諸制度、諸条件に揺さぶりをかけたり、それらを請け負ったりしてきた。パープルームの活動は複雑で雑多だが「美術とはなにか」このシンプルな問いがいつも中心にあったことは確かだ。

コロナ禍以降はパープルームの中心的な活動だった美術予備校部門やキャラバンのような地方巡業型の展覧会は休止している。ここ2年は小回りのきくパープルームギャラリーを活動の中心に据え、隣のみどり寿司とともにコンパクトながらも地に足がついた活動を展開してきたと自負している。とはいえ、初期のパープルームが持っていた得体の知れなさ、誰もが参加できるかもしれないという可能性と流動性は失われつつあるのかもしれない。コロナ禍が始まったばかりの2020年4月に開催された「常設展」を契機に「パープルーム予備校生」は「パープルームメンバー」となった。現在のパープルームはメンバーが固定化されたことによって以前よりも結束力が強まったように思う。しかしその安定は組織としての倦怠期に突入することを意味していた。 そんな状況のなかでもパープルーム予備校に入塾したいという問い合わせがたびたびある。今回個展を開催する永島健司もそのひとりだった。永島はファッション系の専門学校を卒業後、美術の道を志した。美大受験予備校に3年間通ったが美大への進学は叶わずパープルームにきたという経緯だ。 永島は「パープルーム住人」として相模原に住んで活動している。現在、永島とパープルームの間に積極的な交流や金銭的なやりとりはない。永島が働くコンビニで店員と客の関係として顔を会わせることは珍しくないが、交流らしい交流と言えば数ヶ月に一度、永島の作品をパープルームメンバーで鑑賞する程度だ。永島は相模原の街が気に入っているらしく、よく近所を散歩しているという。

最近ふと思う、パープルームとは関係性の濃淡に左右されずに他者だった者たちと何かを分かち合ったりすれ違ったりする場だったはずだと。時間が経過し環境が変われば集団のあり方は変わってくる。定期的にこれまでのパープルームの活動や存在理由を振り返ることも必要かもしれない。
本展が開催される背景にはそんなパープルームの葛藤と今後の展望が見え隠れしている。
相模原の街を散歩する中で見た風景の記憶を描いたという永島の辿々しい絵画作品。パープルームのメンバーであるシエニーチュアンと最近ではすっかり美術への関心を失いつつあるアランとともに永島の作品、そしてその制作動機も含めてパープルームがキュレーションしひとつの展覧会にまとめ上げる。 展示されるのは永島がベニヤ板に描いた風景画と永島とアランが対話している様子を収めた動画である。本展はあくまでも永島個人に帰属する絵画作品が主軸の展覧会である。パープルームという集団はメンバーが協働し1つの作品やプロジェクトをつくることよりも個々がそれぞれに作品をつくり活動することを優先している。それは、パープルームにおける協働が作品を一緒につくるコラボレーションのような領域よりも、制作とも運営ともつかないやりとりが疑似家族のような領域で行われることを意味している。本展では永島の絵画作品と共に作品でも運動でもない営みとしてのパープルームが蜃気楼のように像を結ぶはずだ。


梅津庸一








ファッション系の専門学校を卒業した僕は、美術予備校の油画科で3年間絵を描いていた。

25歳まで実家で暮らした。ここに暮らしていると実家が嫌いだったんだなと思う。
YouTubeに上がっていたパープルームTVで美術予備校の話をしていたのを見て、パープルーム予備校を知り、相模原に引っ越してきた。相模原の人たちは他人に関心が無さそうに見える。他人の視線の苦手な僕にはこっちのほうが居心地が良かった。

僕は、近所のコンビニで夜勤のアルバイトをしている。今の家の周辺を散歩している。風景を描いている。

僕は父の仕事の都合でバーレーンという中東の小さな国に生まれた。何の仕事をしていたかは僕は今でもよく知らない。3歳までの間、住み込みのメイドさんが面倒をみていたそうだ。エジプト、オマーン、トルコなど色々な国に旅行に行ったそうだがその頃の記憶はほぼ0に等しい。バーレーンという国のことは、ネットで少し検索すると出てくる背の高いビルの画像や食べ物の情報と、両親から聞いた砂漠の話から想像するだけだった。覚えていないのであまり興味を持つこともなく、つい最近までほぼ調べた事もなかった。

旅行に行った時のホテルのロビーの空間を断片的に覚えている。室内の暖かみのある明るさや窓の外の夜空、冷たくて硬そうなタイルの床、観葉植物の濃い緑色、色や建物の素材、、、
色々なホテルの建物の広さや壁の素材、内装など色々なところが違うフロアで人が行き交う様子を何度も見たので記憶がごちゃごちゃになっているのかも知れない。

小学校に上がってから東京の洗足池という駅で暮らし始めた。僕の覚えている記憶はほとんどそこからだ。洗足池はアヒルのボートと池が有名で、静かな商店街と小中学校、後はほとんど住宅街が並ぶ小さな駅だった。僕にとっては下町のイメージにぴったりの場所だった。似たようなデザインのアパートや家が並ぶ街を散歩するのが楽しくて、よく用もなくうろうろしていた。夜に散歩した時には住宅の黄色い光や白い蛍光灯の光だけが目に入る。部屋の中には僕の知らない家庭があって、壁の素材も飾ってあるものやインテリアも僕の家とは違うはずだ。室内の明るさがどうなっているのか想像するのが好きだった。

相模原に引っ越して来てすぐ、家の近所でなんでもないアパートが目に止まった。そのアパートは砂のような色のレンガで出来ていて青空を背景に日が強く当たり、僕にはなぜか、溶け出してしまいそうに見えた。どことなく中東の砂漠に建てられた建造物のように見える。中は涼しそうだった。奥はよく見えなかった。その場所に行ってみたいと思った。

それを絵にしても意味がないとは分かっていた。

永島健司






作家のプロフィール

永島健司 1995年 バーレーン生まれ