湊茉莉個展 Passage と、バックヤードで相模原慕情
- 会期|
- 2021.8.19-8.28(水曜日は休廊)
- 時間|
- 15:00-20:00
- 場所|
- パープルームギャラリー
- 企画|
- 梅津庸一
- 協力|
- パープルームビオトープ
湊茉莉は綿密なリサーチを起点に、「人はなぜ絵を描き始めたのか」という根源的な命題に取り組んできました。
様々な文化圏の営みをスケッチするような手つきで空間に「イメージ」を作り上げます。その「イメージ」とはキャンバスに描かれた絵画のようにしっかり定着されたものではなく、その多くが展覧会の会期の終わりとともに撤去される仮設性の強いものです。
本展はアーティスト・イン・レジデンスで信楽に滞在していた湊が梅津と出会ったことがきっかけで企画されました。何度か対話をする中で湊は相模原を訪れその場で即興的に作品をつくってみようということになりました。
しかし、計画を進めている最中にパープルームギャラリーの入っている建物の取り壊しが決定したとの一報が入りました。
通常、ギャラリーで開催される展覧会は一定期間ごとに展示替えをします。よって展覧会とは極めて一回性の強いものであると言えます。ところが今回はギャラリー自体の取り壊しが決まったことで作品や展覧会を支える支持体・基底面が大きく揺らぎました。それはパープルームギャラリーを運営するわたしたちにとって「展覧会」や「ギャラリー」といった美術・アートの世界ではもはや自明すぎる慣習やインフラを今一度、立ち止まって考える機会となりました。
そんなタイミングで湊が相模原に滞在し作品をつくるということは、わたしたちパープルームにとってたいへん意義深いことです。
湊は初めて訪れる相模原で何を感じ、何を作品の主題に据えるのでしょうか。湊の「インスタレーション」とそれを物理的に規定する「箱」としてのパープルームギャラリー。その界面には美術・アートの成立条件、ひいては芸術の持続可能性についてのヒントが隠されているように思います。
一方、パープルームは相模原を拠点に活動を始めて8年が経ちました。パープルーム予備校およびパープルームギャラリーが入居する建物が老朽化により取り壊されることは活動拠点を失うばかりか、隣に店を構える「みどり寿司」と育んできた関係にも大きな影響が及ぶことを意味しています。わたしたちは当たり前だと思っていた日常のかけがえのなさ、一回性に今更ながら気づかされました。
また、本展に合わせてギャラリーのバックヤードでは安藤裕美が撮影・ナレーションを担当した動画「相模原慕情」が上映されます。湊の個展「Passage」と「相模原慕情」はギャラリーの仮設の壁を隔ててそれぞれが別のものとして独立しています。しかしこの二つはどちらも同じ期間に相模原で生み出されたものであり、お互いに干渉したり補完し合ったりするでしょう。それはいったいどんな「絵」を生み出すのでしょうか?
梅津庸一
Passage
パッサージュ
関西から相模原に向かう前日、熱海で土砂崩れが起こり
東海道新幹線が一時運行停止になっていた。
翌日もどんよりと厚い雲がたちこめ、湿度の高い、じめじめとした暑さのなか、相模原に到着した。
通勤する人々や通学する学生たちに紛れ、無機質な街を歩いた。
駅の北側に広がる、嘗て日本ではなかった場所。
隣町の矢部駅と、まるで融合しているようなフェンス。
元米軍基地は、高層団地や家屋と隣接していた。
広大な土地が、人々の生活の目の前に、フェンス越しに続いていた。
日本に返還されたというが、今でも「立ち入り禁止」「撮影禁止」の看板が行く手を遮っている。
コンテナに残る不思議なかたちにふと目が留まる。
フェンスの向こう側、基地の中でサッカーをする軍隊。
永遠に続くかのように広がるなだらかな基地の背景には、さらに開発が進められているのだろうか。建設中の建物がいくつも連なっている・・・。
近年、世界各地で災害が次々と起こっているが、私たちが今まで営んできた生活と無関係ではないだろう。
2021年7月 湊茉莉
湊茉莉
1981年、京都府生まれ。現在、フランス、パリ在住。京都市立芸術大学・同大学院で日本画を専攻した後、パリ国立高等美術学校に留学。壁面や建築物に抽象的なモチーフを筆で描く作風で知られる。近年の個展に「Notes, entre deux fleuves」(エリック・デュポン・ギャラリー、パリ、2017年)、「Space Parts」(ミヤコ・ヨシナガ・ギャラリー、ニューヨーク、2016年)、「うつろひ、たゆたひといとなみ」(銀座メゾンエルメスフォーラム、東京、2019年)、「はるかなるながれ、ちそうたどりて」(京都市京セラ美術館 トライアングル、京都、2021年)など。