制作風景

吉田十七歳個展 『劣等生だけ死なないで』

会期|
2019.7.20-7.28(会期中無休)
時間|
14:00-20:00
場所|
パープルームギャラリー
企画|
パープルーム
協力|
パープルーム予備校

はじめに


この度パープルームギャラリーでは吉田十七歳の個展『劣等生だけ死なないで』を開催いたします。吉田は1年前にパープルーム予備校にきました。パープルーム予備校にはいろんな出自の人がいますが吉田は美大受験に失敗し、1年間地元のショッピングモールの飲食店でバイトをしたのち相模原に引っ越してきました。

現代美術には資格もライセンスも必要ありません。しかしながらわたしたちの現代アートの世界では美術大学を卒業したプレーヤーが大半を占めます。パープルーム予備校はこの現状を一種の学閥によるゆるやかな独占状態と認識し、それを打開するにはどうすれば良いのか試行錯誤を繰り返してきました。 本展は今年21歳になる吉田の能力や才能をパープルームが見出し紹介するという性質のものではありません。

美術界でしばしば見落とされがちなのは個人の経験やプレゼンスと作品はそこまで関係ないということです。作家にとってのピークが20代の人もいれば50代の人もいますが、新人、中堅、ベテランという選別はそれを見えにくくしています。したがって、吉田の初個展というこの機会を特別なものでも、新人作家の練習試合としてでもなく、これまでパープルームギャラリーが開催してきた展覧会と等価値なものとして捉えています。本展のタイトルにある「劣等生」というワードは美術家の梅津庸一が美大教育とコマーシャルギャラリーで扱われていた絵画を相対化したテキスト「優等生の蒙古斑」(2012)への吉田からの応答と言えるでしょう。

本展について


本展は吉田がこの1年間取り組んできた抽象画のシリーズと自身のエッセイによって構成されます。機能不全を起こしているモダニズムと身近なものや個人の経験をボーダレスに接続することで親しみやすさと現代アートらしさを併せ持つ「フラジャイル・モダン・ペインティング」と吉田の作品は一見すると近しいところがあるように見えますが吉田は彼らとは違った抽象絵画を志向しています。それは「フラジャイル・モダン・ペインティング」の定型の文法に微妙なニュアンスを付与し解釈を鑑賞者に委ねるという戦略をとる一方、吉田は「目をうにょっとさせたい。目を運動させたい。」と言います。それは絵の中で目が強制的に運動させられることを意味し、びくとも動かない絵画を見た鑑賞者に「動くこと」を要請します。吉田の絵には頻繁に四角、三角、丸などの幾何学的な形態が繰り返し登場しますが、それらは身近なものや過去の絵画の記憶を幾何学に還元したものではありません。

美大の日本画科の受験を断念した吉田にはアカデミックな美術教育がインストールされていませんでした。しかしそれによって吉田は近代の規範に拘束されずに「仕事」を始めることができました。基礎の上に上位概念として「抽象」があるのではなく吉田は活動のごく初期段階からそれに取り組んできました。

村上隆の「Super Flat」宣言から約20年が経ちました。20年の間に日本のハイカルチャーとサブカルチャーの境界はさらに融解し、貧富の差も拡大しました。この20年は吉田が生きてきた時間でもあります。吉田は相模原というだだっ広い平面の上に降り積もった厄介な堆積物を再度レイヤー結合しようとしているのかもしれません。本展では吉田作品がいかなる理念によって駆動しているのか、その一端を垣間見ることができるでしょう。





パープルーム(梅津庸一)








劣等生だけ死なないで



できないことやなれないものが人よりもきっと多いのだということには、
随分早くから気付いていたのだと思います。
二重跳び、フラフープ、百ます計算、折り紙を折ること、忘れ物をしないこと。
小さい頃はお花屋さんになりたかったり、ケーキ屋さんになりたかったりしました。
小学五年生の頃だったか、ショッピングモールの真ん中で、
母に「お前は本当に愛想が悪いな」と大きな声でなじられたことがありました。
中学2年生の頃、八方美人だと同じ部の女の子達に無視をされたことがありました。
私ではない他の人は、随分と道を歩くのが上手なのだなと頭がグラグラしたのを覚えています。
「優等生」という言葉があります。
私はそれに、多分ずっとなりたかった。
絵を描くのは昔から好きでした。
祖母の家に、誰かの書きかけのノートなんかがたくさん入ったダンボールがありました。
大半のノートは日に焼けてページが茶色で、私はそれに何かしらを描きました。
祖母の家に行くたびにずっと描いていました。
いつのまにか何も描いていないノートは無くなっていました。
祖母は優しい人で、私が道端でぶち切ってきた白い花の花序の部分に、
針で糸を通してかんむりと言って頭に乗せてくれました。
私が花かんむりを作れないくらい不器用だということをなんとなくわかっていたのかも知れません。
まっすぐな線を引くのは、今でもあまり得意ではありません。


「優等生」と「劣等生」の線引きが前よりも曖昧に、難しくなったのはつい最近のことです。
私の中での「優等生」とはどんな道でも上手にまっすぐ歩けるような人でした。
バランス感覚や脚力を持ってして、道を歩く人。
ところが「優等生」とはそもそも、綺麗に整備された道を歩く通行許可証を誰かに貰えるような人のことを指すのかもしれないと思い始めました。
一本だと思われていた道は実は二つに分かれていて、「優等生」が歩く綺麗な道と「劣等生」が歩くでこぼこの道は隣り合い、私達は並走することになる。


誰かにここを歩いていいよと許可を貰えなくても、膝に生傷が絶えなくても、殺されそうになっても死んじゃいたいと思っても、それでも少しは自分で歩けてきたと思っている。
相模原に来て1年が経ちました。
吉田十七歳になって1年、パープルーム予備校生になって1年です。

星占いはあまり当たらないようになりました。


美術作家になって、1年が経ちました。



吉田十七歳





作家のプロフィール

吉田十七歳
1998年生まれ
三重県出身
パープルーム予備校5期生