CURRENT EXHIBITION

2人で描く 絵画は今、何を問えるのか?
坂本夏子+梅津庸一 

会期|
2023.12.15(金) - 12.25(月) (水曜日は休廊)
時間|
15:00 - 20:00
場所|
パープルームギャラリー
企画|
パープルーム
協力|
パープルーム予備校

本展について


本展は坂本夏子と梅津庸一の共作による絵画展である。実はこの2人による共作は今回が初めてではない。10年前から断続的に行なっており今回で4度目になる。
共作は大まかな主題を決めてから始められるが、それぞれが持つ造形言語は違うし完成に至るまでのビジョンも当然異なる。ましてやAIによる画像生成のように画像やキーワードを入力すれば済む話でもない。2人で1枚の絵を描くことでそれぞれの作品に登場するアイコンやジェスチャーが程よくミックスされていれば、いわゆる「コラボ」としてはわかりやすい。けれども坂本も梅津も普段から「絵画とは何か?」と逡巡し葛藤しながら制作を続けている作家である。「1+1=2」のような単純な式にはなり得ない。一見すると何の為の計算式なのか判断し難い複雑な連立方程式に挑むことになる。とはいえ、複雑な演算や解に「価値」や「味わい」を見出しているわけではない。そうではなく本来、絵画を描くという行為には困難が伴うし描くことでしか思考できないものがあったはずだと考えているのだ。

昨今の現代美術というプラットフォームは多様性、多元性を謳いジャンルとしての規範や秩序を失いつつある。それ自体にはなんの問題もない。しかし結果的にそれぞれの種目の層が薄くなったばかりか、わかりやすいものや数字を取れるものが台頭するようになった。周知の通り現在の美術シーンは専門性が弱まりポピュリズムの力学に覆い尽くされようとしている。
本展は「絵画の復権」を目論むものでもないし今回の共作が素晴らしいものだとして提示されるわけでもない。
いささか細かい話になり恐縮だが、2000年代初頭に都市部を中心として次々と誕生したコマーシャルギャラリーのディレクターの審美眼とリテラシーが当時の現代美術のモードの一端を形づくっていた。絵画も例外ではなく、批評的な言説よりも同時代の感覚や気分を宿したものがピックアップされた。美術館もそれを追従するように「絵画の庭─ゼロ年代日本の地平から」(国立国際美術館、2010年)、「絵画の在りかThe Way of Painting」(東京オペラシティ アートギャラリー、2014年)といった絵画展を企画し「ペインター」達をカタログ的に紹介した。また当時の出品作家の一部は現在、美術大学で教員となり後進の指導にあたっていることなども念頭に置けば近過去の絵画を取り巻く状況を振り返ることはけっして無駄ではないはずだ。前述したように現在の売れることが正しさと言わんばかりの風潮にかつて存在したフラジャイルな美学や気分は飲み込まれ風化しつつある。
本来、アート・コレクティブ「パープルーム」はゼロ年代に準備されたアートシーンに対するオルタナティブだったはずだがその前提すらも確認できなくなるのはまずい、そんな危機感も本展を開催する動機となっている。
本展は油彩画5点をメインとしたものだが、そこには自分たちが触れてきたもの、そしてこれからの展望が描かれ「質」として定着しているはずだ。さらに言えばそれは2人が絵画制作を始めた2000年代初頭から現在までの約20年の間の制作および鑑賞体験の蓄積を足がかりとした造形による批評的な身振りでもあるだろう。また共作は性質上、作品がそれぞれの作家に帰属せず宙ぶらりんな状態とも言える。したがってそれぞれのシグネチャーも曖昧になる。固有性を志向する作家からするとややストレスフルな作業でもある。それでも作品を文字通り共有、分有することで「他者」ひいては「集団」について思いを巡らせることになるのだ。

最後になるが本展をもって相模原でのパープルームギャラリーは閉廊することが決まっている。最後の展覧会が初期パープルームで共に活動した坂本夏子と梅津庸一の共作展になるのは感慨深い。そしてこの絵画制作の「困難」が楔となり誰かと共有できたら幸いである。



梅津庸一






作家のプロフィール

梅津庸一 1982年 山形県生まれ
坂本夏子 1983年 熊本県生まれ