デザイン|マッカルソン

韓国からの8人

会期|
2019.6.8.-6.22(水・木曜日は休廊)
時間|
15:00-20:00
場所|
パープルームギャラリー
企画|
紺野優希+パープルーム
協力|
パープルーム予備校

本展について




この度、パープルームギャラリー では『韓国からの8人』展を開催いたします。本展は批評家・紺野優希によって選ばれたジョン・ユジン / キム・ダジョン / ユ・ジョンミン / ジュ・スラ / クァク・イヴ / ホ・ヨンファ / ウ・ハンナによるグループ展です。
「現代アート」とは何を持って定義されるのか、またそれはどのように運用され、どこに向かって提出されるものなのでしょうか。本展はそんな根本的な問いをこの小さな出会いの接触面から考え、問い直そうという試みです。 展覧会のタイトルは1998年に群馬県立近代美術館の現代美術棟開館を記念して開催された『ヨーロッパからの8人』展から取られています。この展覧会はマルレーネ・デュマス / ピーター・フィッシュリ+ダヴィッド・ヴァイス / カタリーナ・フリッチュ / ダグラス・ゴードン / ジグマール・ポルケ / ニエーレ・トローニ / フランツ・ウェストというたいへん豪華なメンバーによる展覧会でした。展覧会図録も作家それぞれの小冊子が作られそれが1つの箱に収められるという凝ったものでした。
『韓国からの8人』展というタイトルは『ヨーロッパからの8人』展と同じく国家という枠組みを意識せざるをえないものですが、性質が根本的に異なる展覧会です。本展の規模がとても小さいということのみならず、パープルームギャラリーというスペースは美術館をはじめとする公的機関のように「韓国の現代アートの状況を紹介しよう」というしっかりとした器や義務感を持ち合わせていません。そして展覧会を国際交流の場とも捉えてもいません。パープルームという機関は公的機関でも財団でもなければ個人でもないという点が重要だと思っています。
本展に先立ち5月にゲンロン カオス*ラウンジ五反田アトリエにて開催された『「新生空間」展 – 2010年以降の新しい韓国美術』展は日本の1980年代から続いているオルタナティヴ・アートスペースおよび2010年以降のアーティスト・コレクティヴと韓国の「新生空間」と呼ばれる近年の緩やかな運動体とを比較検討するという画期的なものでした。そこでは日韓の作家たちの実情とそれぞれの生存戦略や志向の違いや共通点が明らかにされていました。また個々の作家のレベルでも日本と韓国の作家の共通点の数々が見いだされ、文化資源が「国」に規定されることなくシェアされていたという事実も可視化されていました。
一方、パープルームギャラリー で開催される『韓国からの8人』展では『新生空間』展とは違った切り口で韓国の同時代のアートに切り込みます。動向や状況を資料を通して紹介するのではなく、パープルームギャラリーという場に根ざしたサイトスペシフィックなインスタレーションを展開することによって、観客がよりダイレクトに知覚できる場が出現します。今回、紺野優希がチョイスした作家をサポートし、観察し、記録し、場合によっては介入するというのがパープルームの役割です。
これまでパープルームは美術/アートが生起する地点に執着してきました。それは制度として美術が日本に移入されるという歴史的な地点、作品というものが物理的に成立する地点、とある誰かが「美術なるもの」と出会う地点など、異なる位相のものを抱え込みながら、いかにして運動体としてのパープルームを維持し展開させることができるのかというトライアルに挑戦してきたように思います。
『韓国からの8人』展はパープルームにとって自分たちの活動を相対化する上で重要な契機となるかもしれないと期待を膨らませています。
本展の作家たちの作品を実際に見たことがないので明言はできませんが、大まかな傾向として国境を越えて存在する「現代アートらしい意匠」を備えており、ポップで軽やかで洗練された良い趣味の優等生的な印象の作品が多いと言えます。それは裏を返せば韓国という国を記号化したわかりやすい固有性、あるいは個人に由来する諸要素、美術史を露骨に参照することなどを作品の骨格とすることへ抵抗であり、作品のメディウム自体、そして形式自体が前景化するように作品が構築されているということを意味するでしょう。つまり作品がイメージや物語に従属するのではなく、作品のメディウムが自律を志向、あるいは複数のメディウム同士を組織化し連帯させていくことで作品を成立させているように見えるということです。それは作品の組成におけるファウンド・オブジェと手仕事の配分などから伺うことができるでしょう。


紺野優希について

本展の企画者である紺野について少し触れたいと思います。紺野優希は小学校を卒業後、韓国に留学し14年目を迎えました。中学3年生の時にジョン・ケージを筆頭とした現代音楽に出会い、その後ジョセフ・コスースをきっかけに現代アートへの関心を深めていきました。その後ソウルの弘益大学の芸術学専攻に進学しました。卒論のテーマは「青島千穂の作品における日本性」でした。
2017年の秋、芸術学修士の同期と一緒に「Wowsan Typing Club」という美術批評グループを結成し、そのメンバーとしてオンライン上で展覧会レビューをアップしていくほか、「Life as Freelancer」というサイトも運営しています。最近では韓国の美術雑誌「美術世界」や「パブリックアート」にも寄稿しています。またそれ以外に、美術関係の通訳や翻訳活動を行なったりと精力的に活動しています。
紺野はソウルで耳にする日本のアーティストの大半はすでに「歴史化」された人たちで、しかも断片的にしか情報が共有されないということに疑問を抱き、ウェブに韓国語と日本語のバイリンガルでレビューを書き始めました。そんな紺野のアクティブな活動はわたしたちの間でもすぐに話題になりました。その後、紺野が『パープルタウンでパープリスム』(2018年)のレビューを書く機会があり、それが本展の企画につながりました。紺野がソウルで感じたように現状では日本でも韓国のアートはすでに評価の定まったもの以外は知る機会がありませんでした。

最後になりますが、この小さな展覧会が固定化することのできない「現代アート」というタームの捉え直しに一役買えることを願っています。



梅津庸一(美術家・パープルーム主宰)










한국 동시대 미술씬에서

≪韓国からの8人≫, 한국어로 옮기면 ≪한국에서의 8명≫이다. 사실 번역투를 피하려면 ≪한국에서 온 8명≫이 더 맞는 표현이다. 그런데 여기서 번역투 그대로 쓰는 이유는 ‘からの’ 와 ‘에서의’라는 표현에서 각각 의미를 찾을 수 있기 때문이다. 전자의 경우 영어로 말할 때 ‘from’의 의미, 즉 이동의 출발점을 가리킨다. 후자의 경우는 어떤 위치를 가리키는, 영어의 ‘at’ 혹은 ‘in’의 의미이다. 즉 제목은 한국‘에서’ 일본 사가미하라로 건너온 작업들은 곧 한국‘에서의’ 동시대 미술씬이라는 위치를 대변해준다. 그렇다면 그 씬이란 과연 어떤 곳이며 어떤 상황일까? 최근까지, 특히 2017-19년에 선보인 기획 혹은 전시중의 몇 개는 매우 압축적이었다. (2017/2018), <전시의 전시의 전시>(2018), <비디오 쇼룸>(2018), <취미관>(2017/2018), <블라블라블라인드>(2017〜), <더 스크랩>(2016/2017/2018)에서 작품——어떤 경우에 도록이나 이차생산물까지——이 배치된 공간과 간격은 상당히 압축적이었다.


韓国コンテポラリー・アートシーンより/にて

『韓国からの8人』、韓国語に直すと『한국에서의 8명』である。 翻訳調の表現を避けるのであれば『한국에서 온 8명』、つまり『韓国から来た8人』という表現の方が正しい。それでもここで翻訳調の表現をそのまま使いたいのは、韓国語の「에서」という表現に2つの意味を見いだせるからである。 一つは、英語でいう「from」の意味、もう一つは「at」ある いは「in」の意味である。前者が移動の出発点を指す場合、後者は、ある位置を指している。よって、韓国「から」やってきた作品は、韓国「での」コンテンポラリー・アートシーンという立ち位置もまた表している。では、そのシーンとは果たしてどのような場所であり、どのような状況なのか?最近まで、特に2017〜19年に登場した企画展やイベントのいくつかは、かなり圧縮的であった。『PACK』*(2017/2018)、『Exhibition of Exhibition of Exhibition』*(2018)、『ビデオ・ショールーム』*(2018)、『TasteView』*( 2017/2018)、『ブラブラブラインド』*(2017〜)、『The Scrap』*(2016/2017/2018) で、作品——場合によっては図録や二次生産物まで含めて——の並べられていた場所と間隔 は、とても圧縮的であった。

*『PACK』:40センチ四方のキューブの中に作品を制作し、流通を試みる企画。 *『Exhibition of Exhibition of Exhibition』:映像作品をまとめて紹介。キュレーターが選んだ映像を流したり、24時間上映プログラムが行われた。 *ビデオ・ショールーム:映像作品をまとめて紹介。チャンネルでコントロールも可能。 *TasteView:作品・試作品・図録・グッズなどをショーケースにたくさん並べて販売。 *ブラブラブラインド:映像作品を募集して募集順に紹介。キュレーションが加わらない。 *The Scrap:作家・アーティストのさまざまなイメージ(100人・チーム×10種類)を見て買えるイベント。


각 전시 및 행사에서 단번에 여러 작업들이 소개되었다. 이 사례들은 한국의 미술씬 자체를 주제로 다루지 않았다. 그럼에도 불구하고 필자가 느낀 한국의 동시대미술씬을 대변해주는데 바로 ‘압축의 상태’이다. 좀 더 자세히 들여다보면 그것은 내부(로 향하는)확장이며 그에 따른 최대치의 형식/형체(maxxxi-form)가 거기에 존재한다. 사실 앞서 언급한 사례들 뿐만 아니라 과거 2013년을 전후에 나타난 신생공간의 시기를 비롯하여 현재까지 2010년대의 한국의 동시대 미술씬은 제한적 범위를 활용하는 길을 몇년 간 걸어왔는데, 이는 궁극적으로 서울≒한국이라는 묘한 지리감각에 의해 등장했다고 볼 수 있다. ‘In Seoul’을 중심으로

돌아가는 미술대학과 미술기관, 기금을 (늦게라도) 받자마자 4(5..)-12월 사이에 몰리는 전시들, SNS와 현실의 신체감각을 통해 공간에서 다른 공간으로 접속되는 신생공간, 거기에 나타난 작가-기획자-운영자/관리자라는 멀티-플레이어라는 대안적 사제, 이것들은 모두 고밀도로 압축된 상태이다.


それぞれの展示や企画では、様々な作品が一挙に紹介された。それらは韓国のアートシーンそのものをテーマとしているわけではない。にもかかわらず、筆者が感じれた韓国のコンテ ンポラリー・アートシーンは「圧縮の状態」であった。もっとよく覗いてみると、それは内部(への)拡張、それに伴う「最大値の形式・形体(maxxxi-form)」として存在している。実際、先の例に限らず、2013年前後の新生空間*を含め、2010年代の韓国のコンテンポ ラリー・アートシーンは、限定的な範囲内を活用する道を辿ってきた。それは究極的にソウ ル≒韓国という妙な地理的感覚によって現れたと言える。「In Seoul」中心に動いている美 術大学*と美術機関、助成金を(遅くても)受けて4〜12月内に集中する展示、スペースから スペースにSNSと現実の身体感覚で接続される新生空間、そこに登場した代案的姿勢による アーティスト・企画者・運営者/管理者というマルチプレーヤー。すべてそれらは、高密度に圧縮された状態だ。

*新生空間:2013年前後にソウルのさまざまな場所に現れた、アーティスト・企画者/管理 者・運営者のスペース。代案的プラットフォームとして機能した。


앞서 예시로 든 최근의 기획 및 전시는 바로 이전 시기부터 계속되어온 시공간적 제약의 창의적 극복으로서 나타나거나 맥락이 드러나지 않는 플랫폼의 진입구가 된다. 이때 전시와 행사는 압축된 전시방법에 의해 몰이해와 순진한 감상의 양면을 동시에 획득한다. 한편으로 앞서 든 사례 중의 몇 가지는 작가와 관람객을 통해서 압축된 상태를 해독하려고/풀어 여러 상태가 섞여 있는 상황으로 드러낸다. 이번에 파프룸갤러리에서 선보이는 기획 또한 압축과 풀기의 또 다른 시도이다——한국‘에서의’ 압축된 상태를 한국‘에서’ 가져와 상황으로 드러내기. ‘서울이 곧 한국’인 배경에 자리잡은 한국 동시대미술의 압축적인 상태를, LCC의 수하물 규칙에 따라 운송하고 ‘또 다른’ 작은 공간인 파프룸갤러리 전시장에 다시 풀어보고자 한다. 따라서 이번 기획은 동시대미술이 한국에서 어떤 상황에 위치되는지(at, in) 보여줄 뿐만 아니라, (말그대로) 그 존재방식을 보여주면서 작품의 매체적 특성 또한 ‘from’에서부터 출발하는 이행과정 혹은 상황으로 풀어보고자 한다.


先に挙げた近年の企画および展示は、その頃から続く時空間的制約を創造的に克服したり、 或いはコンテクストが明らかにされないプラットフォームの入り口となる。圧縮された展示法によって展示とイベントは、没理解と純粋な鑑賞の両面を同時に有するようになる。一方 で、先に挙げた具体例の内いくつかは、その圧縮された状態をアーティストと観客を介して 解読し/紐解き、いくつもの状態が混在する状況として暴いている。今回でパープルーム ギャラリーで開催される企画も、圧縮と解凍をする試みと言える——韓国「での」圧縮された状態を韓国「から」運んできて、状況として提示する。「ソウルこそが韓国」という背景に韓国コンテンポラリー・アートの圧縮的な状態を、LCCの規則に従って運送を行い、「別 の」小さなスペースであるパープルームギャラリーの会場で紐解いてみる。今回の企画は、 コンテンポラリー・アートが韓国でどのような状況に置かれているか(at、in)を示すのみならず、(文字通り)その在り方を開示し、メディウムとしての特性も「from」から出発する移行過程、あるいは状況として紐解こうと思う。



‘상황’으로서의 전시 및 작업으로

이번에 선보이는 전시에서 운송과정, 작품, 그리고 그 배후에 존재하는 한국 동시대 미술의 씬에 우리는 ‘상황으로서의’라는 수식어를 달아 설명할 수 있다. 이는 이행과정이라는 단어와 맞바꿀 수 있는데 이행과정이란 심플하게 from-to의 관계라고도 말할 수 있다. 앞서 언급한 서울≒한국 미술씬에서 내부(로 향하는)확장에 따른 최대치의 형식/형체(maxxxi-form), 그러니까 내부에서 시작하되 외부로 넘어가지 않는 과정은 정상적인 이행단계가 아니다. A에서 B로 가는 위치이동은 물론, 겉모습의 변화도 옮겨가는 중인 ‘상황’으로써 출발점(from - )과 도착지(to - )는 동시에 존재하게 된다. 폐허이지만 전시공간으로 위치시키는, 이름이 ‘갤러리’이지만 거래가 이루어지지 않는, 그리고 미술관인데 유사 테마파크를 지향하는 공간 등등. 이행단계의 전과 후는 여기서 동시에 끌어안는다. 내부(로 향하는)확장은 공간적인 이동과 특성 이행의 정체구간과 같은 상태이다. 이 공간들은 출발점에서 다른 단계로 자리이동을 못하는 채 병렬된다——그곳이 대한민국이라는 서울이다.


「状況」としての展示・作品に

今回の展示で運送の過程、作品、そして背後に存在する韓国コンテンポラリー・アートシー ンという単語に、「状況として」という修飾語をつけて説明することができる。 これは移行過程という単語とも言い換えることもでき、それはシンプルにfrom-toの関係とも言え る。前述したソウル≒韓国のアート・シーンにおいて内部(への)拡張による最大値の形式 /形体(maxxxi-form)、つまり内部から始まり、外部へと越えることのない過程は、正常な移行段階とは違うものだ。AからBに向かうときの位置移動は勿論のこと、見た目の変化も移行中の「状況」として出発点(from -)と到着地(to -)は同時に存在している。廃墟でも展示空間として存在し、名前が「ギャラリー」でも売買のやりとりが行われず、美術館は類似テーマパークを目指している、など。ここでは移行段階の前後が一緒に内包される。 内部(への)拡張は、空間の移動と特性の移行が渋滞している状態だ。そのスペースでは、 出発点から別の段階にシフトができないまま、横並びになる——そこが大韓民国というソウルだ。


그렇다고 한국의 동시대 미술씬 혹은 작업이 비애——자칫하면 ‘비애미’가 넘친다는 이야기는 아니다. 이는 오히려 일반적인 전시나 작품의 형식적인 틀을 내부로부터 확장시켜 모색했다는 관점에서 바라볼 수 있다. 예컨대 <취미관>이나 <더 스크랩>에서 단순히 상품이나 이미지만은 아닌 것처럼, 거기에 각기 다른 상태가 같이 존재한다. 단순한 병렬이나 압축된 상태가 아니라 각각 놓여 있는 상태에 초점을 맞추면 전시나 기획, 그리고 작품이라는 덩어리를 상황으로 분석할 수 있다. 이번 전시 또한 ‘한국 동시대미술가’를 주제로 열리는 기획이라는 큰 ‘패키지(징)’에서 7명의 작업, 그리고 작품마다 놓인 상태를 ‘상황’으로 분석할 수 있다. 작품은 페인팅의 평면에서 레이어를 통해 심층으로(김다정), 풍경의 창틀은 입체적 설치구조로(허연화), 이미지-생각에서 조형화로(정유진), 대상/오브제와 배경 사이로(유정민), 평면적 인식에서 공간적 수행으로(곽이브), 서로 다른 시점들이 공간적으로 분리된 평면으로(주슬아), 그리고 연성-불안정함에서 견고함-안정함으로(우한나) 향하되 전자와 후자는 같이 내포한다. 이때 각 과정에서 출발점이 되는 매체나 소재는 사라지지 않은 채 작품에서 유지되는 점이 핵심이다. 작품으로서 완결된 형태는 어떤 형식에서 다른 형식으로 옮겨가는 ‘중’인 상황인데, 여기서 말하는 이행과정은 도착지로 착륙한 결과가 아니라 벌어지고 있는 ‘상황’에 가깝다. 한국에서, 서울에서, 전시에서, 그리고 작품에 어떤 상황이 벌어지고 있는지, 꼼꼼히 안을 들여다보는 일로부터 시작하고자 한다.


だからといって、韓国のコンテンポラリー・アートシーンや作品が悲哀——ともすれば「哀 愁美」に満ちているという話ではない。むしろ、一般的な展示や作品の形式的な枠組みを内 側から拡張して模索している点から考察できるだろう。例えば『TasteView』や『The Scrap』で、そこにあるものをただの商品やイメージと言えないように、それぞれ別の状態 が共に存在している。ただの横並びや圧縮された状態ではなく、それぞれの状態に焦点を当てることで、展示や企画、そして作品という塊の分析ができるだろう。今回も同様に、「韓国のアーティスト」をテーマにした展示という大きな「パッケージ(ング)」はもちろんの こと、7人のそれぞれの作品、そして作品それぞれの状態を「状況」として分析できる。ペ イティングの平面からレイヤーによる深層へ(キム・ダジョン)、風景の窓枠を立体的な設置の構造へ(ホ・ヨンファ)、イメージ・考えから造形化に(ジョン・ユジン)、対象/オブジェと背景の間に(ユ・ジョンミン)、平面的認識から空間的遂行へ(クァク・イブ)、 別の視点同士が空間的に分けられた平面に(ジュ・スラ)、および軟性・不安定さから丈夫さ・安定さへ(ウ・ハンナ)に向かっていながらも、前者と後者は共に内包されている。その場合は、それぞれの過程で出発点となる媒体や素材は消えないままの作品の内に維持されている点が重要である。作品として完結した形は、ある形式から別の形式への移行「中」の 状況で、この移行過程は到着地に着陸した結果ではなく、ある事象が起こっている「状況」 により近いだろう。韓国で、ソウルで、展示に、そして作品に、どんな状況が起こっているのか。内側をつぶさに覗き込むことから、はじめられればと思う。



紺野優希






作家のプロフィール

クァク・イヴ / 곽이브 / Eve Kwak (b.1983)
抽象化された都市の風景をモチーフに、その平面がどのように人によって時間性を得られるかを探求する。窓に映った時間帯ごとの都市の風景はプリントされ、会場 内を外部化する。またそのプリントは壁に貼り付けられたり、形を変え造形物にもなる。作家にとって、都市はただ目に映るものではなく、より積極的な視線や態度によって解体される対象である。ソウル科学技術大学(Seoul National University of Technology)造形芸術科 大学院 修了。


キム・ダジョン / 김다정 / Kim Da-jeong (b.1995)
キャンバス全体にゲルストーンを塗ったり、レジンをキャンバスの代わ りにするなど、支持体を変形・解体し、筆使いによる層を視覚的に強化させた作品を発表してきた。作家にとってペインティングは、平面に帰着する筆使いやボリュームのある支持体 が、どのように交差しているか探求される対象である。作品を前にして、彫刻的な要素と絵の具の表現は、どのように絡み合い、また解体されているのか。韓国芸術総合学校 造形芸 術科 大学院在籍。


ウ・ハンナ / 우한나 / Woo Hannah (b.1988)
布やぬいぐるみ、傘立てやキャスターといった日用品を組み合わせて、カラフルなオブジェを制作する。人物にも似たその姿は、どこか行進隊や百鬼夜行を連想させる。案山子や藁人形のようなオブジェは、ものを「安定させる」道具によって支えられ、呪術的で犠牲によって得られる「心理的な安らぎ」のモチーフとクロスしている。だが物質として、また心理的な不安定さをすでに知っているがゆえに、そこに人間的造形物はやや不安定なままでいる。韓国総合芸術学校 造形芸術科 大学院卒業。


ユ・ジョンミン / 유정민 / Jungmin Yoo (b.1989)
オブジェやインスタレーションを制作し、作品を空間に背景化させてい る。日用品を紙粘土で覆って制作された小さなオブジェは、作品として前景化されることな く、静かに佇んでいる。ぬいぐるみやカラフルな布を使ったインスタレーションでもまた、 作品は空間を制圧せず、むしろ置かれているその環境や場所を浮き彫りにする。BGMが雰囲気を生み出すのに対し、作品は環境音楽のような役割を果たし、空間に溶け込みながら作品として存在している。ソウル科学技術大学(Seoul National University of Technology)造 形芸術科 大学院在籍。


ジョン・ユジン / 정유진 / Eugene Jung (b.1995)
迷信や物語が想像・イメージ化(imagination)を経て、如何にして生み出されているかに注目し、インスタレーションなどに展開する。その作品の多くはスタイロフォームなどの軽い素材で制作され、偽物らしさを強調している。同時に、まるで漫画から そのまま飛び出てきたかのように、イメージを扱うことの軽さも表している。そこでイメージ化された対象は、未来の空想として映るのか。あるいは想像の顕在化なのか。韓国芸術総合学校 造形芸術科 大学院在籍、現在東京藝術大学 彫刻科 大学院に交換留学中。


ジュ・スラ / 주슬아 / SLA JOO (b.1988)
映像や色をモチーフに、平面へと置き換えている。『PRESET』(2017)の出展 作では、アニメのワンシーンのキャラクターの動きを座標上に表現している。絵の具の彩度を再生時間に合わせて調整し重ね、作家はコマという平面をペインティングで重ねていく。 平面に置き換えられた時間は、ペインティングという時間芸術を暴くと同時に、モーションをカットの蓄積として解体する。ソウル科学技術大学(Seoul National University of Technology)造形芸術科 大学院在籍。


ホ・ヨンファ / 허연화 / Hur yeonhwa (b.1988)
川や海といった水をモチーフにインスタレーションを展開する。3D上の 風景のイメージをペット合成紙にプリントし、それを折ったり、またはペインティングとして空間に立てかけたりする。水がもともと容器や大陸があってこそ領域化されるのと同じように、ここで作品はキャンバスやペット合成紙、またはオブジェといった様々な形で3Dの 海のにも似た風景を、領域化する。弘益大学(Hongik University)彫塑科卒業。